Blog#1 学びはアウトプットするまでが1セット という考え方

 おはようございます。みまた駅前鍼灸院、下村です。
8月の始まりに寄せて、ブログを書き始めることにしました。

 これまで、勉強会でプレゼンテーションなどを担当したりしていたのですが、アウトプットの機会を増やすべき。 との思いもあり、書いております。
お付き合いいただければ幸いです。

大人になって試験を受けなくなってから・・・

 さて、はり・きゅうの国家資格を取って、学校を卒業してからというもの、いわゆる「試験、テスト」というものを受けなくなって、はや20年あまり。
 単位や追試のプレッシャーからは解放されたものの、学習へのモチベーションを高く保つのは難しい。そんな、私(1981年生)と同じような社会人のかたも少なくないのではないかと思います。

「発表がいちばん勉強になる」という実感

 普段の勉強会で年に10回ほどは、解説担当としてプレゼンテーションをさせていただいていますが、毎度のように思うのは、「プレゼンターがいちばん勉強させてもらってるなぁ」という感想があります。
 もちろん、受講者に向けてのわかりやすさなどを意識しながら準備して、プレゼンテーションに臨むわけですが、
・情報の正しさ
・出典(元ネタになる本)は確かさ
・関連情報はあるか?
・国や時代で、異なる説はあるか?
などをチェックしながら資料を作り、持ち時間におさまるようにシュミレーションをしたりしますので、受講者のみなさんには「初見」でも、私には「かなーり見直した資料」という事情があります。

 たとえば、皆さまの体験にも「甥っ子や姪っ子の宿題を観てあげたらすごく勉強になった」。のようなケースはおありではないかと思います。

アウトプット=学びの強化

 当然のことながら、読書や調べものだけでも意味のあることだと思うのですが、これらはいわゆる「インプットしたまま」になっていて、
・なにが理解/記憶できたか、あるいはできなかったか?
・どうゆう部分に感銘をうけたか?
・どういう部分に賛同したり、同意できなかったか?
・どういう部分を実践に活かしたいか?
といった意識にはなりにくいのが欠点になっているように思われます。

「学んだぶん」だけ説明できる

 そうした前提があって、「印象に残ったこと」というのは他の人にも説明できる。という事情があります。
 逆に言えば、「説明できなかった部分」は、復習の余地がある。と、言えるでしょう。

 また、説明することじたいが、インプットした情報を組み立てなおす能力にもなりますし、時間や文字数が限られている場面では、『何を説明して、何を省略するか』の「構成力」にもつながるのではないでしょうか。

アウトプットを持ち寄って、「視点の違い」から学ぶ

 また、同じものを読んだり・聴いたり・観たりしても、感想や賛否や感応した箇所は違って然るべきです。
では、Aさんの感想とBさんの感想の優劣がはっきりするか?といえば、そうでもない場合はままあることかと。
 場合によっては、「同じ山を登ってるけど、ルートが違うだけ」と、いうようなケースも多々あるように思います。

所感、まとめ

 以上、アウトプットの一環としてブログのはじめの記事を書いてみました。
これから、アウトプットを磨きつつ、専門的なこと・東洋医学のトピック・日常のなかのちょっと変わったことなど綴ってみたいと思います。
 ここまで、みまた駅前鍼灸院から下村がお送りしました。

 

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