みまた駅前鍼灸院、下村でございます。
論語の一節として、しばしば引用されるフレーズですが、伝統鍼灸との関わりについて書いてみます。
基本データ
タイトルの言葉が収録されている、論語という本をざっと観てみましょう。
時代背景
およそ2500年前頃の、中国大陸でのお話しです。
国の分裂/吸収合併を繰り返すような不安定な情勢でした。
思想家たちは国に請われて参謀になったり、流浪の哲学者としてフリーランスで自分の思索や執筆活動に向き合っていました。
そうしたなかで、『孔子』とその周辺の出来事にまつわる教訓が書いてあります。
本のジャンル
中心人物『孔子』が語った教訓を、弟子がのちに書き残した書。
こうした状況は、ソクラテスの『弁明』と似ているかもしれません。
書物の性質としては、倫理/道徳の本としての印象が一般的でしょうか。
一部では『戦略書』として観る向きもあるようです。
『見える世界』に軸足をキープせよ
そうして、「怪力乱神を語らず」の一般的な解説は、
『オカルトetcは喋らない(ほうが無難だぞ)』
ということになるでしょうか。
私見も交えて考えるならば、『無い』とは言ってないことから察するに、
『形而下に軸足を留めなさい』
とも言えるのではないかと思います。
ここでちょっと小難しい用語で区別するならば、
・形而下:五感でわかる物や、形がある物の世界
・形而上:頭の中にしかない物や、形がない物の世界
この二つのうち、社会通念上で会話や実務をするときには、圧倒的に『形而下』の話になりますし、『形而上』の話は、「共感できる人にはすごく共感できるし、共感できない人には『なにそれおいしいの』となりやすい」性質があると思います。
鍼灸とのかかわりはいかに
それでは、論語と同時期に成立した最古の医書、『素問』『霊枢』との関係を観てみます。
鍼灸:気の医学
鍼灸はしばしば、『気の医学』と言われます。
これは、本来の鍼灸は人間の生命活動を「気」の動きとして説明して、どうやって働きをととのえるか
に由来しています。
そこには『理論』もありますし、
あるていど誰がやっても/受けても効果が見込める『再現性』もありますし、
体質・性別・年齢etcに応じてアレンジできる『個別性』を備えています。
そういうわけで、鍼灸は雰囲気に『形而上っぽさ』はあるものの、中身は『ガチの形而下』といえるかと思います。少なくとも、ワタクシ下村はそういう意識で取り組んでいます。
形而上は基本的に、『守備範囲ではない』
では、鍼灸の古典では『怪力乱神』をどう取り扱うか?
古典書のQ&Aを観てみます。
【問】
オカルト的な不調の診断はできますか?【答】
「あっ、これは『ついてきちゃった』な」とわかることもある。
だがしかし、守備範囲外である。
ちなみに、(そっち方面は)細かいことはわからなくても問題ない。
鍼灸や漢方の守備範囲外であることさえわかれば、しかるべき方面の人に紹介するだけの事。
以上。
と、あっさりしています。
ちなみに類似のチベット伝統医学などでは、『守備範囲内』の地域もあるようですが、それはまたいずれ・・・
結びの言葉
理論的に、易などとの『接近遭遇』もありながら実用重視で発展してきた伝統鍼灸。
これが日本に伝来してから、特に昭和以降はさらなる理論化と体系化がいまも進行中です。
またいずれ、理論面も解説記事のシリーズをアップしたいと思います。
ここまで、みまた駅前鍼灸院から下村がお送りしました。

