ブログ#1 コラム 道具の変化~鍼管について~

 ブログの初回の記事として、読み物としてお楽しみいただけるようなコラムを書いてみたいと思います。 
 国や時代、風土、人々の体質などにあわせて、はり・きゅうの道具も変わってきた歴史がありまして・・・
 例えば、現在のハリは適度な『しなり』と『刺激のマイルドさ』が特徴のステンレス鍼が主流なのですが、これが昭和の中頃までは農家さんもすべて手作業であるためにプロレスラー並みの体格という方もいらっしゃいましたので、ハリもそうした方のために『鉄製』の物も用意していた。と、同じく鍼灸師であった祖父から伝え聞いた昔話であります。
 そうして、祖父が終戦後に経絡治療に傾倒するようになった時期と同じくして導入したのが
         『鍼管』(しんかん)
であります。
 鍼管の効果として、まぁさしづめ『ガイドチューブ』の役割がありますので、効率的にハリ施術の痛みを低減させることができ、施術者にとっても受療者にとってもずいぶんハードルが下がった。という歴史的な経緯があります。
 そうして鍼管を使用し始めた祖父を観た曾祖父(こちらは、あんまをメインとした療術家でした)は『モト(祖父が元照なので)、そげなっで効っとかよ?』とやや懐疑的だったとか(;^_^A
 といいますのも、昭和の初期頃までは右手にハリを持つだけの、いわゆる『フリーハンド』状態(撚鍼/捻鍼法:ねんしんほう)が主流で、鍼管を使う『管鍼法』(かんしんほう/くだばり)はどちらかといえば当時は視覚障害のある施術者が使うことが多かったテクニックでありました。

 そこで、管鍼法/鍼管にまつわるアイコン的な人物が『杉山和一』であります。和一は『鍼管の発明者』というよりかは、『鍼管の普及に貢献した人物』というのが正確なようです。
 ちなみに、東京駅でインバウンドのお客様が「Waichi Waichi」とおっしゃるのでよくよく話を聞いてみると、海外から訪日した鍼灸師で「杉山和一の墓参りがしたい」とのことで、「それなら江ノ島へ行ってください」ということもたまにはあるとかないとか・・・
 日本人が忘れかけてる伝統というのは、いまや海外の方のほうが詳しいこともまぁあるよね。なんて。

 閑話休題。そうして講談/落語の『苦心の管鍼』(くしんのくだばり)のモデルにもなった杉山和一ですが、後天的な視力障害であったため、先天的な視力障害のあった師匠の指導がどうにも身につかず、江戸での修業期間は振るわず、京都で再び修行し直した。という苦労もあったようです。そんな困り果てた和一が『もう辞めてしまおうか』といったある日のこと・・・
 石につまずいて転倒したときに、「何か体に触れるものがある」と。それが『竹の筒or丸まった木の葉』と『松の葉』であったことから、和一のインスピレーションがスパークした。以降、現在の管鍼法の普及までつながっている。というお話でした。

 そうして、二度目の修行を終えた和一の活躍も歴史に残っておりまして、第5代将軍 徳川綱吉の指令によって『杉山流鍼治導引稽古所』を任ぜられるまでの治療家となったと記録されています。ちなみにこの養成所は、鍼・按摩分野で世界初の視覚障害者教育施設であったということで、これも自身が若い頃に苦労した和一だからこそ達成できた偉業。と観ることもできるかもしれません。『艱難汝を玉にす』という実例に鼓舞されながら『まぁ、ボチボチながら頑張んべ(´・ω・`)』などと呟いて私も机に向かったりしております。
 皆様も江ノ島へお出かけの際は和一のお墓へ参ってみてはいかがでしょうか。みまた駅前鍼灸院から下村がお送りしました。

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